印傳(印伝)とは

菟田野区での皮革産業

 菟田野区では、明治期より皮革が扱われるようになった。伊賀、伊勢、京都方面の皮革技術者を招いて初めて鹿革の製造が始められた。つまり、菟田野区ではそれまで鹿の鞣しはされていなかったということである。

 菟田野区に招かれた職人の中でも特に京都の職人は『雍州府志』にも

革匠 以 革製 諸品物 是謂 革屋。造 蹈革 革袴、及革頭巾、 革道服 多在 三條通

とあり、業者の数も少なくなかった上、扱っていた品物も様々であったことが分かる。しかし首都が東京へ移り、京都の皮革業者は段々に寂れてきていたようだ。

 菟田野区が鹿革製造を始めた当時、まだ菟田野区で使用する鹿革は国内産で十分に賄えたようである。菟田野区は立地的に吉野の山々に近い。菟田野 区の鞣し操業が軌道に乗ると共に、奥と呼ばれた吉野から鹿、猪、兎等の革を集めてくる者も出た。しかし全国的にみると既に鹿革の輸入は当たり前の事であっ たらしい。江戸時代後期の書である『我衣』には

…(上略)小人皮ウスシ唐皮也、はだへこまかにして、革もやはらか也(中略)
シャム革足袋渡り革なり、小人より厚く、やわらか也(中略)享保の頃より
右の渡り革足袋一切なし(中略)古への皮足袋は値段安く、しかも二三年も破れず、
近代、和革足袋、高直にてはやく破るゝなり(下略)…

更に『和漢三才図会』には

…(上略)日本の鹿の皮は薄くて小さくて肌も濃やかではない。およそ暹羅・柬埔寨・咬口留口巴・太泥(南印度)・太寃などの西南夷より毎年くる鹿皮、野馬の皮、 皮などは大約二十万枚であり、暹羅のこびと、くじかの皮が最上とされる。

とある。

 江戸時代、日本には和革よりも遥かに安く、しかも上等な革として小人皮と呼ばれる唐皮、シャム革と呼ばれる皮が輸入されており、正徳の頃まで鹿 皮の輸入枚数が毎年二十万枚にも上ったという。そして研究者の間では、実際に承応元年(1652)から一年間で大鹿4660枚、暹羅・柬埔寨の鹿皮が 70712枚が輸入されたことが実証されている。しかしそれらの革も享保の頃には全く輸入されなくなり、日本の鹿革が使われていたということである。

 だが明治の中頃より大阪堀江方面に朝鮮、台湾からの鹿革が入荷されるようになり、更に大正に入ると大阪川口に中国産、神戸南京町にはタイ産を始 め東南アジア各国産の鹿革原皮の輸入が盛んとなったという。現在輸入される鹿も神戸を経由して来るが、やはり産地毎にその革の性質は異なるので当初はその 鞣しに苦労したようである。 鹿革の原皮輸入も飛躍的に伸び、平成三年には菟田野区だけで810トンもの輸入高となった。しかし翌年には半分近くまで落ち 込み、その後低迷を続けながらも毎年400トンから500トンの輸入量を誇っている。

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